友ヶ島の要塞廃墟へ(1)
友ヶ島の要塞廃墟へ(1)
4月2日、友ヶ島に行った。「友ヶ島」は正しくは地ノ島、神島、沖ノ島、虎島の総称であるが、要塞がある沖ノ島の意味で使われることが多い。友ヶ島は紀伊水道と大阪湾の境に位置しており、その地理的重要性の高さから明治時代に要塞化された。WWⅡ後、観光地として小規模なキャンプ場が整備された。現在も島のそこかしこに煉瓦造りの要塞が廃墟として残っており、ほとんどの場所は自由に立ち入り写真撮影できる。諸経緯はWikipedia(友ヶ島)に詳しい。
大阪環状線新今宮駅から南海本線を使えば、和歌山県の南海加太線加太駅まで1時間半ほどである。加太駅から加太港友ヶ島汽船乗り場までは徒歩で15分。そこからフェリーに乗り20分程で島に着く。フェリーの運賃は大人往復2000円也。友ヶ島および加太の詳しい位置はグーグルマップを参照されたい。大阪市内からでも意外なほどアクセスしやすい。
島を訪れた4月2日、9時から16時半までの滞在を予定していたが、折しも風が強く、帰りの便が午後1時半友ヶ島発となってしまった。実質滞在時間が半分ほどになったが、強行軍で当初の予定通り島のメイン観光箇所をすべて回った。写真は要所要所のみの撮影となった。以下に写真を記載するが容量の関係で4つの記事に分けてある。また、写真は一部加工したものもある(HDR合成、コントラスト調整等)。
各観光スポットの位置に関しては、個人のサイト「要塞の島友ケ島探検/煉瓦作りの廃墟」さんの「マップ」が分かりやすい。
では写真をどうぞ。
[第二砲台跡。海に向かって崩壊しつつあるため立ち入りは禁止]
[写真左上の高台にカノン砲があったらしい]
[崩れた部分から海に消えていた]
[高台より。戦時中は27cmカノン砲4門が据え付けられていたという]
[椅子。第二砲台近くにあった]
[蛇ヶ池。ほぼ沼沢地である。第二砲台の近く]
[第一砲台跡。右手階段から奥へ進める]
[第一砲台跡、半地下部分]
[第一砲台跡内部への入り口。前日が雨だったためか、ぬかるみがひどく進めなかった]
[第一砲台跡の奥の階段]
[階段を登り切るとトーチカのような構造物があった]
[第五砲台跡。ここは小規模である]
第五砲台跡は戦後も一時的に使用されていたようで、比較的新しい配管設備が多く見られた。次の記事へ続く。